一つひとつの事例の背後には、子どもを失ったまま生きる親がいます。これは、その親自身の言葉です。すべての証言は匿名で公開します。公開前に、名前・日付・場所など、家族や子どもを特定しうる情報はすべて取り除きます。
ある残された親の証言
私は会社の赴任で米国に渡りました。妻と、生まれて間もない幼い娘も一緒でした。私たちはそこで暮らしを築きました。家があり、娘には友だちができ、毎日の習慣がありました。
ある日、私の同意も知らせもないまま、娘は母親によって米国から日本へ連れ去られました。あとになって、それが秘密裏に計画されていたことを知りました。私が明確に反対していたことを承知の上で、彼女は私の知らない間に発ちました。娘は、まだほんの幼子でした。
私は、法律で許されることをすべてやりました。ハーグ条約に基づいて、娘の返還を——日本の裁判所に——申し立てました。しかし裁判所は申立てを却下し、抗告も棄却されました。裁判所は、娘が実際に暮らしていた家ではなく、「常居所は日本だ」と判断し、娘は戻されませんでした。
それから長い年月、私が娘に会えたのは、たった一度だけです。弁護士立会いのもと、日本の弁護士会館で、ほんのわずかな時間。相手方が弁護士の同席を求めたためでした。その一度きりの面会を最後に、私は娘と一切、連絡が取れていません。
日本はハーグ条約に加盟しています。それでも返還命令が執行されることは稀で、子どもを連れ去る行為そのものへの罰則は、今もありません。相手方はかつて、書面で「面会の機会を設ける」と約束しました。その約束が果たされることはありませんでした。
娘は、父親を知らないまま大きくなっていきます。私はこれを、復讐のために語っているのではありません。次の子どもが同じように消えてしまわないように、そして、これが一つの家庭の悲劇ではなく、制度の問題なのだと知ってもらうために、語っています。
— ある残された親